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放射能の知識
  
  
§1 疑問の始まり

 2012年4月、東京で、ある大学教授による「放射能と食の安全を考える」という講演を聞きました。東日本大震災の福島原子力発電所の事故以来、よく取り上げられる話題です。この種の講演は大体が、どこかで誰かが言っていたもののツギハギです。この講演もそうでした。ですから、とても退屈なものでした。ところが、辛抱強くスクリーンを見ていましたら、最後に映し出された画面が興味を引きました。多分、これもよく知られたデータなのでしょうが、知りませんでした。次のような内容でした。

 自然界には放射性物質が存在していることはよく知られています。人間は、食事を通してそれらを体内に取り入れています。現実にどれくらい取り入れているか、と言いますと、体重60キログラムの日本人の場合、体内には放射性物質のカリウム40が4,000ベクレル、炭素14が2,500ベクレル、ルビジウム87が500ベクレル、鉛210とボロニウム210が合計20ベクレル、それぞれ含まれています。

 そしてこの教授が言うには、人体そのものが実は、すでに合計
   4,000+2,500+500+20=7,020ベクレル
の放射性物質なんだそうです。

 そして福島原子力発電所の事故があってから最近、政府が決めたセシウムの摂取基準が100ベクレル。これ以上摂取してはいけません、という数値です。でも、すでに7,020ベクレルもの放射性物質を体内に持っているのに、100ベクレルなんて数値をいまさら問題にして、一体、何の意味があるんだ、そんなものは気にしないで生きていきましょう、という講演でした。

 この話を聞いて大変、驚きました。自分の体がすでにこんなにすごい放射性物質であることにまず驚きました。次に、そんな状態であるにも関わらず、ちゃんと健康に生きていることに驚きました。それなら、この教授の言う通り、いまさら100ベクレル程度に驚くのは馬鹿げている、と思いました。皆さんも、この話を聞いて、もう心配するのはやめよう、と思ったでしょ。

 でも、よく考えてみました。そして、ほんとかな、と思うようになりました。この講演の話が本当であるならば、政府がセシウムの摂取基準を100ベクレルとする、なんて発表をするのは、きわめて馬鹿げている、と言わざるを得ません。本当にセシウムの摂取基準の発表は、そんなに馬鹿げたことなんでしょうか。

 セシウムの摂取基準は、専門家が集まって作られた委員会みたいなものが決めたはずです。そんな専門家が、自然界に存在する放射性物質を知らない訳がありません。そんな専門家が人体の中にどんな放射性物質が取り込まれているか、を知らない訳がありません。その上でセシウムの摂取基準を発表しているのですから、ちゃんとした意味があるに違いありません。  一体、この教授の講演は信じていいのかどうか、どちらでしょうか。これから勉強していきましょう。

 結論だけ先に言っておきます。この講演は間違いです。


§2 素粒子論と物性論

 物理学にはいろいろな分野がありますが、大きく2つに分けることが出来ます。

 1つは、物質は何からできているか、根元物質は何か、を研究するもので、根元物質は素粒子と呼ばれ、この研究は素粒子論と呼ばれます。素粒子は、時代によって常に変化しています。ある時代、これこそ素粒子であると考えられていたものが、研究が進んで、それらの素粒子は、実はもっと根元的なものから出来上がっていることが分かった、となって訂正されるからです。

 物理学のもう1つの流れは、物性論と呼ばれるものです。たとえば、素粒子が5つと言われていた時代がありました。すべての物質は、これらのたった5種類の素粒子の組み合わせで作られている。それなのに、どうしてこんなに多種多様な物質が存在するのか。そういうことを研究するのが物性論です。

 ちょっと料理で考えてみましょう。ここに食材として、牛肉、玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、カレー粉の5種類があったとします。これらの5つの食材から出来るものと言えば、カレーライスぐらいしか思いつきません。でも、素粒子の場合は、5つの素粒子から鉄のような硬いものも出来るし、水のような液体も出来るし、また、パンのように食べるものもできます。あらゆるものが出来ます。一体、どんな仕組みで、そのようにいろいろな物質が出来上がるのでしょうか。物性論ではそのようなことを扱います。

   紀元前6世紀、古代ギリシャの哲学者・ターレスは水が根元物質である、つまり、すべてのものは水がもとになって出来ている、と考えました。さらに時代が経つと、風が根元物質であるという人や、土が根元物質であると考える人が現れました。古代中国では、木、火、土、金、水の5つが根元物質だと考えられました。古代インドでは、地、水、火、風、空が根元物質であると考えられました。


§3 錬金術

 その後、3〜4世紀になると、錬金術(れんきんじゅつ)というものがエジプトで起こり、アラビアを経て、11世紀頃、ヨーロッパに伝わりました。錬金術師たちは、根元物質が何であるかまだ分からないけれども、とにかく根元物質に種々の性質を持たせることによって、といってもどうやって持たせたらいいのかも分からないのですが、とにかくそうしてやると「物質の転換」が出来ると考えました。そして、最終目的として、金を自由に作りたい、と考えました。

 錬金術は1000年近くもヨーロッパで威力をふるいました。13世紀のアラビアの錬金術師ゲーバは、硫黄、水銀、塩を根元物質と考え、これに「賢者の石」を作用させることによって、あらゆる物質を作ることが出来る、と考えました。

 錬金術師の試みは、いろいろな実験技術を発達させましたが、最終目標である金は得られませんでした。もっとも重要な賢者の石が何であるかが、長い間、分からなかったからです。賢者の石が、イギリス・スコットランドのホグワーツ魔法魔術大学のハリー・ポッター教授によって発見されたのは、21世紀になってからでした。

 この最後の3行の文章は冗談ですよ。以前、誰が読んでも冗談と分かるような文章を書いたところ、それを本気にする人がいて、困ったことがありました。


§4 原子と化合物

 17世紀になって、やっと人々は錬金術なんて意味がないもの、ということに気がつき始めました。
 そして、ボイルという人が現れ、彼は、いろいろな物質を物理学的方法で分離し、さらに化学的方法でもって純粋にしていくことで、それ以上は分離できない少数の元素(=原子)が得られる、と考えました。

 ボイルの考えに賛成する人たちは、18世紀末には、30種類の原子を見つけました。そして、原子が結合すると化合物というものになり、化合物と化合物を混ぜると、別の化合物が出来上がる、ということが分かってきました。

 1869年になると、ロシアのメンデレエフは、当時、知られていた62種類の原子を、周期律という表にまとめました。

   62種類の原子を使って、いろいろな化合物が作られました。原子Aと原子Bから化合物Cが作られました。原子Dと原子Eから化合物Fが次のように作られました。

       A+B→C    D+E→F

 さらに化合物Cと化合物Fを混ぜ合わせると、CはAとBに分解し、FはDとEに分解し、その上で、AとDが、BとEがそれぞれ結合して、新しい化合物G、Hが生まれました。このような変化は化学反応と呼ばれました。

    C→A+B    F→D+E

    A+D→G    B+E→H

 化学反応においては、原子と原子の結合の相手が変わって、新しい化合物が生まれますが、原子そのものは変化しないことが分かりました。

 こうして原子は、変化しないもの・不変なもの・安定なもの、であって、原子がもとになって、あらゆる物質が作られるということが分かりました。そうです、原子こそ、人類が探していた素粒子でした。
 と当時は思われました。


§5 放射性物質

 ところが、フランスのキュリー夫妻によって、ある原子が写真乾板を感光させることが発見されました。これは、その原子から何かが放射され、その放射線が写真乾板を感光させた、と考えられました。また、その結果、その原子は別の原子に変化しました。

 当時の常識では、原子は不変でしたので、写真乾板を感光させたのは化合物であって、別の原子に変化したのではなくて、別の化合物に変化したのであって、つまり、化学反応が起きたのだ、と解釈されました。キュリー夫妻は、この物質が化合物ではなく、純粋の原子であることを示しました。

 こうして、原子の中には不変ではないものが存在することが分かりました。

 さらに、原子の構造の研究が進みました。原子は、中心に原子核と呼ばれるものと、その周りを回っている電子から成り立っており、さらに原子核は、陽子と中性子から成り立っている、ということが分かり、さらに、いろいろな原子は、陽子、中性子、電子の個数が異なっているに過ぎない、ということが分かりました。

 となると、原子は素粒子ではなくて、陽子、中性子、電子が素粒子である、ということになりました。

 そして、原子が何かよく分からないものを放射して、別の原子になるのは、原子核の部分が変化しているため、ということが分かりました。

 このように変化していく原子は放射性物質と呼ばれ、放射するものは放射線、放射線を放射する能力は放射能、また、放射性物質(原子)が、放射線を放射して別の物質(原子)に変化していくことは放射性物質の崩壊、と呼ばれるようになりました。また、放射性物質の崩壊は、結局は、原子核の崩壊ですから、原子核崩壊とも呼ばれます。

   放射性物質が崩壊していくときに放射する放射線の種類は、放射性物質の種類によって異なります。そして、人体に及ぼす影響の程度が異なります。


§6 半減期

   放射性物質では半減期という言葉がよく使われますが、その説明をしておきましょう。

 大学の理科系の学科では、数学で微分方程式というものを学びます。微分方程式の、比較的、早い段階で、放射性物質の崩壊を微分方程式で表すことが出来ることを学びます。

 この微分方程式によって、放射性物質の崩壊の様子は、指数関数と呼ばれる関数で表されることが分かり、崩壊の様子は半減期という言葉で表現されます。つまり、どの放射性物質も、その物質特有のある時間が経過するごとに、現在の量から半分の量に減少する、ということが分かります。つまり、その時間が経過するごとに、もとの量の半分に、またさらにその時間が経過しますと、そのまた半分に、となっていきます。この半分になる時間を半減期と言います。

 半減期が長いものほど、その影響は長く続くので、それだけ危険である、ということが言えます。しかしまた、半減期が短いものは、ごく短期間に大量の崩壊が起こるので、大量の放射線が出て、従って、崩壊の初期段階においては非常に危険である、と言えます。


§7 ベクレル

 ひと塊の放射性物質が、1秒間にn個、崩壊する場合、その放射性物質の強さをnベクレルと呼びます。

 上に述べたように、放射性物質の崩壊の際に出る放射線の種類は、放射性物質によって異なり、それぞれの放射線の人体に対する影響度は異なりますから、同じベクレル数であっても、放射性物質によって、人体に対する影響は異なります。

 つまり、いまここに、10ベクレルの放射性物質Aと、10ベクレルの放射性物質Bがあったとき、両方とも、1秒間に10個の原子が崩壊し、放射線が放出されますが、Aの放射線の種類と強さ、Bの放射線の種類と強さ、は互いに異なります。


§8 放射線の種類とベクレル

 具体的に、放射性物質が放射する放射線にはどんなものがあるか、と言いますと、アルファ線(=ヘリウムの原子核)、ベータ線(=電子)、中性子線、ガンマ線(=周波数が高い電磁波)、エックス線(もっと周波数が高い電磁波)、重粒子線(=原子量が大きな原子)などがあり、放射線の種類が異なれば、人体に対する影響は異なります。  で、ベクレルというのは、ある塊(かたまり)の物質を取り上げて、1秒間にその塊の中の何個の原子核が崩壊していくか、を表す数値として定義されています。たとえば、ある塊において、放射性物質の原子核が1秒間に10個、崩壊する場合は、その塊の崩壊の程度は10ベクレルと言います。

 同じ10ベクレルであっても、塊Aからは10個の低エネルギーの放射線が出るかもしれませんし、一方、物質Bからは、高エネルギーの放射線が10個、出て崩壊していくかもしれません。放射線の種類とエネルギーが異なれば、塊Aと塊Bとが人体に与える影響は全く異なります。

 ですから、ベクレルの数値はむやみに足し算してはなりません。

 もちろん、同種類の原子核の塊の場合は、足し算しても構いません。

 ということで、一番最初に紹介した講演の説明にあったように、カリウム40のベクレルの数値と、炭素14のベクレルの数値を足し算するなんてことは、やってはいけないのです。簡単なたとえ話で言えば、ここに、日本酒が2リットルと牛乳が1リットルあったとします。そして、2リットルと1リットルを加えると、合計3リットルになります。でも、この3リットルには、お酒に酔うという観点から見て、何の意味があるでしょうか。

 こうしてお分かりのように、人前で堂々となされた講演でさえ、内容が間違っていることがあります。ですから、いま世の中に出回っている話を、簡単に信じてはなりません。自分でよく勉強した上で、納得できたものだけを信じましょう。

 以上は、放射線を出す側のお話です。


§9 シーベルト

 次に、放射線を受ける側の話をしましょう。

 放射線を受ける立場にしてみれば、放射線が出てくる仕組みなどはどうでもよくて、大切なことは、放射線の種類と、それが持っているエネルギーです。

 エネルギーを測る単位はジュールです。皆さんが慣れている食品の熱量(エネルギー)を測る単位はキロカロリーで、キロカロリーとジュールは簡単に換算できます。  放射性物質Aが放射する放射線が、たとえば、1時間当たり20ジュール(=20J/H)とし、このエネルギーが体重50Kgの人に照射されたとしますと、この人は、1時間当たり、体重1Kg当たり、20÷50、つまり、0.4J/H/Kgの照射を受けたことになります。

 厄介なことに、エネルギーが同じであっても、放射線の種類によって人体に対する影響は異なります。何故、そうなのか、と言いますと、放射線と人体組織との相互作用の仕方が異なるからです。

 これは次のように考えれば理解しやすいでしょう。

 たとえば、ベータ線は、人体組織と相互作用をするとき、1発が5ジュールのパンチ(ボクシングのパンチ)で殴ることに相当し、一方、中性子線は、1発が50ジュールのパンチで殴ることに相当するとしましょう。

 そうすると、ベータ線100ジュールのパンチを食らったということは、100÷5=20となって、5ジュールのパンチを20発、受けたことになります。一方、中性子線100ジュールのパンチを食らったということは、100÷50=2となって、50ジュールのパンチを2発、受けたことになります。

 で、1発が5ジュールのパンチなんか、蚊に刺された程度の痛さですから、それを20発、受けたところで、ほとんどダメージを受けません。一方、1発が50ジュールのパンチですと、1発食らっただけでノックアウト寸前となり、これを2発食らうと、もう死んでしまうでしょう。

 このように全体としては同じエネルギーであっても、人体組織とどのようにかかわるかが放射線の種類によって異なりますから、放射線ごとに人体に対する影響力の評価を区別しなければなりません。

 さらに、人体のどの部位に放射線を受けるかによっても評価は異なります。たとえば、同じ強さのパンチでも、腕を打たれた場合、顎を打たれた場合、頭部を打たれた場合など、それぞれ受けるダメージは異なります。

 そこで、放射線の種類と、その放射線が人体のどの部位を攻撃するかを決めた場合の、その組織への影響度を、受けたエネルギー量(単位はJ/Kg/H)に「影響度を表す修正係数」を掛けて計算します。それを線量当量といい、単位はシーベルトとなります。

 線量当量(シーベルト)

   =「修正係数(人体の部位と放射線の種類による)」

      ×「単位時間当たり・単位体重当たりのエネルギー量」(J/Kg/H)


§10 ベクレルとシーベルト

 と言うことで、ベクレルとシーベルと、は全く別の観点から生まれた単位、ということになりました。従って、両者の換算などできません。

 ただし、原子核と体の部位を決めてしまうと、そのベクレルからシーベルトへの計算が可能になります。

 ついでに言っておきますと、ベクレルもシーベルトも人名です。科学の世界では、世界共通の単位が使われます。そのとき、どこの国の言葉でも共通に使える単語を単位として採用したいと考えました。

 そして、そうだ、人名にしよう、となったのです。ベクレル(フランス)もシーベルト(スウェーデン)も共に放射性物質の研究で貢献した人です。なお、ベクレルは、キュリー夫妻とともに、ノーベル物理学賞を受賞しました。

アンリ・ベクレルロルフ・シーベルト
  
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