【沿 革】
1941年12月、日本軍の真珠湾攻撃を発端として、太平洋戦争(第2次世界大戦)が始まりました。そして5年間の戦争の後、1945年、敗戦。総力戦の結果、何もかも失った日本をアメリカ軍が占領しました。終戦直後の日本の食糧事情は極端に悪く、何度も食糧緊急輸入が実施されました。一般国民の窮状にも拘わらず、当時、料亭を中心とする外食産業が存在していました。また、一般国民を対象とする外食産業も存在していました。

しかし、戦後の衛生事情は悪く、外食産業では食中毒が続出しました。食中毒を防ぐことを目的として、1947年(敗戦から2年後)、食品衛生法が厚生省によって制定されました。そして、さらに1958年(敗戦から13年後)食中毒防止を目的とした調理師資格が厚生省によって設置されました。この頃、戦争で一家の働き手を失った妻が自立するための道として、裁縫学校(和裁、洋裁)クッキングスクール(料理学校)などが誕生しました。これが戦後の専門学校・各種学校の始まりです。

1959年(調理師資格設置の翌年)調理師養成施設の指定が始まり、ある条件が揃った学校は調理師養成施設と認定され、そこを卒業すると自動的に調理師資格取得できるようになりました。いくつかの料理学校(家庭料理)が調理師学校(職業料理人養成)へ移行していき、1960年での養成施設数は19校となりました。一方、1958年(昭和33年)、職業訓練法が労働省によって制定されました。そして、さらに昭和48年、職業訓練法の中でうたわれている指定職種の中の1つとして「調理」が指定されました。これを受けて、1976年(昭和51年)、「全国調理職業訓練協会」が設立され、1979年(昭和54年)に社団法人の許可を受けました。

一方、1960年 厚生省管轄の協会として、全国調理師養成施設協会が誕生しました。2001年、奈良調理短期大学校(労働省管轄)の故 田中敏子校長によって、介護食士講座が誕生しました。そして2001年(平成13年)、省庁再編が始まり、厚生省と労働省は1つにまとめられて厚生労働省となりました。

私たち、調理師は、外食において国民に衛生的に管理された食事を提供する立場としては、厚生省の管轄下にあるものですし、調理師は労働者の1つの分野という立場からすると労働省の管轄下にもあります。そして、調理師の専門学校は学校教育の1つという立場からは、文部科学省の管轄下にあります。全国職業訓練協会は、介護食士資格の他にカフェクリエーター、ラッピングクリエータ―、キュイジーヌ&バンケットコーディネーターの資格制度を設置しました。

2014年4月から全国調理職業訓練協会は公益社団法人となりました。公益事業として介護食士認定事業、収益事業として、カフェクリエーター、ラッピングクリエータ―、キュイジーヌ&バンケットコーディネーターの認定事業を行います。

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